厳密には「殆ど伝わらない」と考えられるほど不確かな手法である「コミュニケーション」が、
過去より日常的に当たり前に多用され、効果が得られている理由のひとつに、
事前の双方の膨大な背景・付帯・環境情報の「知覚・関与」「意味内容の近い解釈」がある、
と前回まとめてみました。
結局、「知覚・関与」「解釈」と言った意識や行為は「脳」の中の環世界で展開される作業であり、
コミュニケーションとは、その当事者間の「脳内で何を記憶し、何を予測しているか」の連続的確認・
整理・補完行為だと言えます。
この視点を更に深彫りし「記憶による予測の仕組み(自己連想記憶)」として考えると、
同じ環境/背景を共有していてもコミュニケーションが中々成立しない、又は初めて会ったのに
非常に効率的にコミュニケーションが進む、と言ったケースまで理解する事ができます。
その最初の例が「バナナ」の話です。
これは単純に、相手の脳に「バナナ」と言う刺激(言葉)をインプットすると、相手の脳の中で
「バナナ」の記憶に基づく映像や触感、味や匂い、纏わるエピソードがどんどん湧き出してゆく、
更に見た事も無い様なバナナ料理含めて、色々な「バナナ」が予測できる力が導き出せます。
この能力の素晴らしい点は、汚れた、一部分の「バナナ」の切れ端を相手にインプットしても、
相手からは「新品の瑞々しい、完全な、美味しそうなバナナ」として取り出せるところにあります。
つまり、入力した情報が不完全でも完全なものが出てくる、敢えて自分と相手の
「記憶・予測が異なっている事、その差」を利用して、元々の情報要素より優れた要素/状態
「パターン(要素と構造群)」が手に入る可能性がある手法という点です。
又、「チーズと迷路とネズミ」の話では、もうひとつ別な角度「シーケンス(順番)」が理解できます。
チーズを迷路においてネズミを放すと、何度かの試行錯誤の末に完全に迷路を覚え、
以降はまっすぐ迷わずにチーズにたどり着きます。
勿論これは「迷路を曲がる、進む順番」が記憶できると同時に意図的に何度でも再現できる、
組み合わせの選択が記憶できる、と言う事です。
我々にとっては当たり前の事ですが、トカゲに試すと彼はまったくチーズにたどり着く事ができません。
彼の環世界には「順番」と言う「組み合わせの記憶概念・回路」が存在していないからで、
彼には「チーズを手に入れる為には、正しい手続きを順番通り経る必要がある」事は理解不能です。
で、この2つの能力をもってすると「サビだけ聞くと、頭の中で曲全体のメロディーが正しく流れてゆく」
「相手の顔を見ると色々関連することを思い出し、話すべきことを話すべき順番で話す事になる」
「あのぉ~、アレアレ、あれ、ちゃんとやっておいてね」「はい、OKです、明日までには完璧です」
と言う、コンピューターでは絶対理解不可能な、効率的コミュニケーションが実現します。
最後に、これら「パターン」と「シーケンス」の「自己連想記憶」がもたらすヒト(脳)の情報認知能力は
以下の文例が読み取れる事からも説明できるのではないか、と思っています。どうでしょうか?
※正式・正当な解釈は現在専門機関で研究中です。本主旨は考え方のひとつとして参照しました。
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こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。
この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか
にんんげは たごんを にしんき する ときに その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば
じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて
わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?
2009年5月8日 ITmediaサイトから例文を複製 以下、同リンク。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0905/08/news021.html


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