頻繁に、簡単に使ってしまう「情報」や「コミュニケーション」と言う単語について
自分がどう捉えているのか少し整理してみます。
「情報」の定義として今まで最もしっくり来たものは東京大学西垣教授が仰られた次の一文です。
・それによって生物がパターンを作り出すパターン
「基礎情報学」 西垣通 NTT出版 2004年
別な表現では「生物と社会(対象)との関係性の間に立ち上り、生物に意味作用をもたらすもの」、
又、情報そのものは実体がない相対的関係概念であり、逆に生物に意味作用をもたらさないものは
情報ではない、「意味」の解釈者が存在して初めて「情報」として成立する、とされています。
例えると、ヒトとハエでは同じ対象についても関係性の違いから、生まれる「情報」は全く異なります。
ヒトと机⇒「使う」という関係から「机」の意味が「ヒトにとっての情報」として生まれる
ハエと机⇒「止まる」というだけの関係から「机」の意味が「ハエにとっての情報」となる
・情報そのものは実体がない、生物と対象の相対的関係概念
・情報はその「意味」の解釈者が存在して初めて成立する
一般のオフィスでも同様で、「ヒトと対象」の関係差異は統一できていない事の方がとても多く
「情報」として出現した関係性・意味の「ヒト間での不整合」は、かなり大きな業務取引コストの無駄や
リスク、更なる誤差・不整合の範囲を生み出していると考えられます。
「この報告書、文字量は多いけど情報が少ないね。なんか意味が判らないし。」
「そうですか? 私は良く判りました。・・・と言うだけの事です。」
「う~ん、それだけかなぁ。私にはそうは思えないなぁ。」
上の例えの中には更に「情報には実体が無い、絶対量ある<報告書=小包>ではない」と言う事と
「情報が表す関係性・意味は、観察者の環世界の中で知覚・解釈される」と言う事が含まれていますが
この時点での「情報」の語彙は「コミュニケーション」とはまったく別物で、
「コミュニケーション」について考えるには、この「小包ではない」「ヒト間で解釈が違う」と言う
「情報」の本質的な特性を前提にしなくては正しい解釈や仮説、検証・対策は行えない、と感じます。
・ひとつの情報だからと言って、それは「小包」の様に綴じられたものではない
・ひとつの情報も、観察者の数だけその「意味や解釈」が存在する
※この点から「見える化する本質的価値」にも迫れるのですが、それは別な機会に。。
・・・私のこの散漫な文章も、読者の方々毎に解釈や意味、「情報」かどうか扱われ方が異なると思うと
とても恐ろしく(価値が無い、と言う解釈も情報ですし)、今回は「情報の持つ宿命」と言える表現で
(その1)を締めくくっておき、次回「コミュニケーション」についても整理してみます。
・情報の価値は受け手/受信者が決める
※最近、amazonの方にお会いする機会があり、その方から「クラウド」と言う単語情報を
「Elastic(柔軟・伸縮自在)」「utility computing」と言う関連性・意味解釈で捉えるべきと伺い、
私自身はとても頭がスッキリしました。
「雲の向こうで、誰かが何となく都合よくやっておいてくれる」と言う怪しげな全体解釈には
全く納得できなかったので、これからはこの解釈で統一して見てみようと思っています。


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